2016/6/24

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最近ハマってしまってやばいやつ……^q^

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2016/5/21

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家の人が、洋画を”日本語音声+日本語字幕”で見ている事があるのだけれど、
音声と字幕の訳があまりに違いすぎて「えぇっ」っと思うことがある。
「センスのある訳」とかたまに聞くけど、なるほど、
訳する過程で訳者さんの解釈が入るから、
本来の言葉ではなくなる・という当然の事に今頃気がついた。

言葉に関しては、以前とのさんとも少し、「不思議だね」と話していたのだけれど、
この「翻訳」という考え方が自分の中でハマるものがあった。

というのも、そもそも自分の言葉であっても、
自分の気持ちを100%正しく発信できているかというと、ウーン、という気がして。

言葉だけですべて自分の考えを人に伝えられたら、それってすごくないですか。
少なくとも、私には難しい。
だから言葉に絵を添えたり、ジャスチャーつけたりする。

じゃあ、どうして100%の言葉ではなくなるのか。
自分が口から発する以前に、実はどこかで翻訳にかけられているのではないかな、とか考える。
ってなると、自分の中でですよね。

————————————

”自分の考え”(本来の言葉100%)
つまり脳みそから発信して、

”言語化”
「考え」というものを言語化する。
このタイミングで翻訳がされてる。

”言葉にする”(本来の言葉70%くらいの実感)
自分の口から音になる頃には、これくらいになっている気がする。

”相手が拾う”(本来の言葉50%くらい)

————————————

「翻訳」はコーヒーフィルターみたいな感覚。
読書というのも、自分という翻訳機を使って、その言葉を自分の中に取り入む作業のような気がする。

言葉って、脳味噌から始まる伝言リレーみたいなものなのかも。

どんなに近しくても、どんなに親しい人だって、きっとそのままは届かない。
100%の自分の声を聞けるのって、きっと自分自身だけなんだろうな。

けれどそれは自然なことだから、人は言葉という知恵を作りだして、
自分や人のことを理解するよう進化してきたし、そのための努力を惜しまないんだろうね。
100%は無理でも、出てきた言葉70%を、限りなく70%に近い形で拾うことは出来るかもしれない。
尊い。

***

最近海外文学がプチマイブーム。
ちょこちょこ読んでは、落書きしつつ感想を殴り書きするの楽しいです(´ω`)
今後も色々読みたい欲。
ヨーロッパに行きたい欲。

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